アンナチュラルの意味 込められたメッセージがある!?

来年1月期ドラマ「アンナチュラル」。アンナチュラルを普通に直訳すると“不自然”ですが、何やら意味深なタイトルです。そこでそのタイトルから読み取れるメッセージを考察していきたいと思います。
アンナチュラル=アンナチュラル・デス?
HPによると、ドラマの舞台は死因究明専門のスペシャリストが集まる「不自然死究明研究所(UDIラボ)。“不自然な死”(アンナチュラル・デス)、との記載があります。
ここから推察するに、アンナチュラルとはアンナチュラル・デスから取ったもので、UDIとはおそらくUnnatural Death Institute の略なのではないかと思われます。
なので単純にアンナチュラルはアンナチュラル・デスから持ってきた、もしくはアンナチュラル・デスの省略として用いた、と考えられます。
ドラマのタイトルにデスを持ってくるのはさすがに得策ではない、という気遣いもあるのかもしれません。
自然と不自然の境目とは?
このドラマのキーワードはアンナチュラル、つまり“不自然”です。では“自然”と“不自然”の境界線というのは何なのでしょうか?
ドラマでは不自然な死体を解剖することによって、その不自然さの原因を究明していくようですが、そもそも“不自然な死体”と“自然な死体”とはどうやって判別されるものなのでしょうか。
UDIに死体を搬送するか、しないか、は誰が選定しているのでしょう?
こうした疑問はおそらくドラマのなかで解消されていくと思われますが、深読みすれば、タイトル「アンナチュラル」は“不自然”ってどういうこと?という問いかけでもあるのかもしれません。
前作「逃げ恥」で描かれた多様性を踏襲?
脚本家の野木亜紀子さんは、前作「逃げ恥」で人と人との結びつきの多様性を描きました。
つまり双方適齢期の異性間の、恋愛感情のある、入籍した結婚は“自然”で、年齢差のある者同士、同性間同士、恋愛感情のない者同士…等々、その他の形での結婚は“不自然”なのだろうか?ということをずっと視聴者に投げかけていたように思うのです。
星野源さんの主題歌でさえ歌詞のなかで「夫婦を超えていけ」と歌っています。なので、前作を踏襲した作品になるとすれば、自然死、不自然死を棲み分けて考えること自体がナンセンスなのでは?という結論に最終的に到達するのでは?と思ったりもします。
単なるミステリーや事件解明のドラマであれば別ですが、もしそうでないのであれば、“どんな形の死でも必ず意味がある”“死に自然も不自然もない”という哲学的な境地に着地するのかもしれません。
以上、「アンナチュラル」のタイトルに込められた意味を考察してきましたが、本当のところはわかりません。
ドラマを実際に見て、見終わった後におそらくドラマ「アンナチュラル」からの本当のメッセージを受け取ることができるのでしょう。どのようなストーリーなのか、今からとても楽しみです。